魂の涙〜メメント・モリ〜

7年前から境界性人格障害(ボーダー)、2年半前に鬱が発症、通院を開始。鬱、ボーダー闘病中の七海が辛い失恋を乗越え羽ばたいていくありのままの姿。※重い内容なので連鎖鬱にご注意下さい。

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§ 父への恐怖感…悲しい記憶

私には、ずっと「父への恐怖感」が存在していた。父は怒鳴ったり、暴力を振るうような人では決してない。お酒もあまり飲まないし、ギャンブルや女性関係で苦しめられたことも無い。けれど、私が小学校低学年の頃、両親の仲が悪かった時、父が帰宅してくるのがすごく怖かった。

父は機嫌が悪いとむすっとしたまま、同じ家にいるのに全く口を利かない。ひどい時は、2週間近く全く会話が無いまま。そんな父を刺激してはいけない…そういう恐怖が、私の全身に染み付いていた。

今でも目の前に、はっきりと広がる光景。小学校4年生まで住んでいた、西日の当たるマンション。居間に小さな木製のテーブルがあって、その横に居間のドアがある。そのドアを開けて、父がネクタイを外しながら入ってくると、私の全身を恐怖が襲った…。別に父は私に暴力を振るうわけでも、怒鳴るわけでも、当り散らすわけでもない。ただ、父の「冷え切った雰囲気」がその場の空気を氷のように冷たくし、私の全身を刺した。

やがて私が中学に入り、父は単身赴任になった。両親は一緒に暮らさなくなったためか、以前の様に離婚をするという話はもう持ち上がらなかった。そして、現在に至るまで、父は場所は変われど単身赴任生活を続けている。

私は、つい最近まで、こんなに大人になっているのに、父が単身赴任先から我が家にやってくるのが嫌だった。母に「今日お父さんが来るよ。」と言われると、嫌な気分になった。それはもう、自分の心に染み付いた「生理的反応」みたいなもので、父はもう年老いて、昔のように不機嫌で会話もしないようなことはなく、普通に母と話をしている。それでも、私は父が家の中にいると「居場所がない」気がして仕方なかった…。

ある時、こんなことがあった。私がまだ海外で仕事をしていて、就職試験の為に一時帰国していた時のこと。たった1週間の帰国で、試験のための帰国だったから、バタバタしていて忙しかった。そんな私に会いに、父は単身赴任先から戻ってきて、ちょっと豪華な行きつけのレストランに私と母を連れて行ってくれた。帰りのタクシーの中で、その「事件」は起こった。

どんな話をしていたのか、もう良く覚えていない。父はワインを2杯位飲んで、ほろ酔いだった。

「親子といっても、所詮は他人なんだし、土建屋とでもなんでも良いから結婚でもして、なんでもいいから出て行って、独立して勝手に生活してくれ。」

そう言われた。本気なのか冗談なのか…。私は一人娘。この家のたった一人の子供。そしてきちんと大学卒業後は就職して自分のお金で海外で生活し、自立していた。それなのに何故こんなことを言われなければいけないの?

しかも、2年間の海外赴任期間中に、たった1度、たった1週間帰国して、たった1日会った日に…なんでこんなことを言うの?

私は金槌で頭を強打されたような衝撃を受けた。その夜は雨が降っていた。タクシーが自宅前に止まると、もう午前0時を過ぎているのに、私は降りしきる雨の中、傘も持たずに家とは反対の方向に走っていった。もう自暴自棄だった。このまま通り魔に殺されても良い…私に居場所なんか無い…そう泣きながら、真っ暗な商店街の中を濡れそぼって歩いていた。

大事な就職試験のあと。これに合格すれば希望の職業に就ける…。輝く未来が目の前にある。

そんなことは、最早どうでも良かった。このまま知らない車に乗せられて、殺されて捨てられても、構わない…。そう思いながらも、やはり私は怖くて、道を知っている商店街の外の住宅地へは出られず、シャッターの下りた商店街を何往復もした。このままタクシーに乗って、成田空港に行こうか…そう何度も考えた。何故なら、翌日が勤務地に戻る日だったからだ。

どこかに「父が走ってきて、『悪かった、ごめんね。お父さんが言い過ぎたよ。お願いだから帰ってきて。七海はお父さんのたった一人の大切な娘だよ。』って言って、追いかけてきて、私を連れ戻しに来てくれるんじゃないか。」…そういう期待があった。

30分位して、傘を持った人が近付いてきた。でも、それは母だった。その後家に帰りたくなかった私を、母は24時間営業のファミレスに連れて行き、2時間位喋った。母は「お父さんが心配しているかもしれないから、帰ろう。」そう私を促して、私は母と共に帰宅した。

真っ暗な家。まだ私は父が「起きていて、『心配したよ。お父さんが悪かった。』と声をかけてくれること」を期待していた。しかし、父の部屋から聞こえるのは寝息だけだった。

私は愕然とした。谷底に落ちていく気分だった。この男はたった一人の娘が、まだ23歳(当時)の娘が、深夜2時過ぎに外を徘徊していても、心配もしないんだ…。最悪の気分だった。私は早くこの家を出て、勤務地にある自分の家に帰りたかった。

翌朝、私は成田空港に向けて家を出た。母がどうしても「お父さんに『行って来ます』と言いなさい。」というので、テレビに向かって無言で座っている父に「じゃぁ、行って来ます。」と一言言った。

父は、私の方を見ることもなく「うん。」と短く返事をしただけだった。

私はこれから日本から遠く離れた異国の地に戻り、任期満了までもう2度と日本に帰国することはないのに…。それなのに父は私の顔すら見なかった…。このことは私の心に大きな傷を付けた。幼い頃、両親の不仲・父の「無言という名の攻撃」によって受けた古傷の上に、真っ赤な鮮血が走った。

私は、何故かこのことについて今日まで記憶から抜け落ちたかのように、思い出していなかった。あまりの衝撃が、病になった私の自己防衛本能で、記憶の隅に隠してしまっていたのかもしれない。でも、帰国後の職場で同じ課にいた親しい男性の先輩と、2人でご飯を食べに行った時に、この話をした記憶がある…。その先輩は、とても尊敬できる人であると同時に、どこか考え方が似ている部分があって、お互いに共感出来る関係にあったから、よくお互いの悩みを話し合ったりしていた。その先輩にだけ、この話をしたことがある。先輩は私の話に驚愕していた。

「俺だったら真っ先に後を追いかけて、土下座して謝るよ。」

私の「男性不信」の原因はひとつではない。でも、父が大きく関係していることだけは言える。父は愛情表現が上手く出来ない人間なんだ。…そのことは、今になって、ようやく理解出来るようになった。それは父自身が両親から「愛情」を受けずに育ってきたからだと思う。父の両親も又、冷え切った夫婦だった。昔の人間だから離婚はしなかったが、やはり、同じ家にいるのに、会話もしないような夫婦だった。だから、父は「愛情表現」を知らないのだろう。

私が病気になり、休職することになって、父はようやく気付いたのか、今では両親は仲良くしている。私は自分が病気になって、唯一良かったことは「両親が私の病気をきっかけに仲良くなったこと」だと思っている。

私は父と母に言いたい。

「私は自分の人生を犠牲にして、あなた達に愛情の大切さを教えたのだ。だから、決してそれを忘れないで欲しい。私から奪った26年間を取り戻してあげたい…申し訳ないと少しでも思うなら、どうか死ぬまで2人仲良くしていて欲しい。私の26年間流れ続けた魂の涙の重さを、しっかり受け止めて欲しい。娘を「心の病」という地獄においやったことに、少しでも罪悪感を感じるなら、残りの人生を2人で愛し合うことで償って欲しい。」

私の父は私を愛していないわけではないと思う。その証拠に、家族3人でしょっちゅう海外旅行に行ったし、メールもしあったりしている。ただ、「愛情表現の仕方が分からない」のだろう…。

それを分かった今でも、私は父が少しでも話さなかったり、疲れた表情を見せると、恐怖を感じる。まだ、私の身体に染み付いた生理的反応は消えていないらしい。

男性を信じられない…それは、この恐怖から来ているのかもしれない。

男性不信を乗越えなければ、私の未来に幸せは無い。魂の涙は止まらない。そのためには、身近に愛し合う男女…そう、仲良い両親を持つことが、最も効果のあることだと、そう思う。

お父さん、
私はこの病気のお陰で、人の何十倍もの苦しみを味わい、
地獄を見て、魂の涙を流し続け、
リストカットや自殺未遂をしました。
こんな私が可哀想と思うなら、
どうか、お母さんを大切にしてあげて下さい。
それ以外、何も望みません…。
お願いします。
私はこの言葉を言うために、人生を犠牲にしたのだから、
どうか応えて下さい。



2006/09/25/Mon 23:59:59  心の叫び/CM:3/TB:0/
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COMMENT

そういうお父さんもいるんですね  from - はたけ
こんにちは,七海さん.

七海さんのお父さんへの思い,私の元彼への思いと,似たようなものを感じます...

七海さんのお母さんは,嫌いでお父さんと結婚して,七海さんを生んだわけじゃないでしょ...きっとどこかで,七海さんの記憶の無いところで,お父さんの心が屈折したんじゃないかなぁ,,,と勝手に想像しています.

私の付き合ってた人も,人前では人格者でした.でも私の前では気を抜きたいという理由で,随分無責任というか人当たりが変りました.甘えてくれるときはいいですが,なんだか冷ややかになることもあって,(たぶん2股してるのに気が咎めてたんでしょうけど),,,その辺の雰囲気が,なんだか七海さんの子供の頃のお父さんの記憶と,一致する気がしました...

男の人も女の人もそうだとは思いますが,外の環境と我侭がきく家では,随分人が変るんじゃないでしょうか...慣れ親しんできて,陰にマンネリ化すればするほど,人間の惰性がむき出しになって,家族に不快な思いをさせる... うちも子供の頃は離婚だ何だ騒動はありました...でも病気の母を見捨てる父ではなかったです.理由は私(子供)がいたからですが... なので,父について私は男性不振にはなってません...でも元彼のことで,ずいぶん男性不振で,疑り深くなってしまいそうです...

七海さんのお父さん,そろそろいいお年でしょ...うちの父は定年後にかなり丸くなりました.せめてお母さんとお父さんが,心穏やかな人生を送れたら,七海さんも心が軽くなるんでしょうね...

七海さんが幸せになって,心の平安を取り戻してからの話ですが,,,いつか,お母さんに,お母さんの目から見て,お父さんの良いところがあったら,聞ける日がくるといいですね...どうして結婚されたのか,,,どうしてお父さんはあんなに冷たい言葉を言う人になったのか(元々?)...
2006.09.26-13:10/はたけ/URL/EDIT/
  from - 雪達磨
お久しぶりです。2度目ですが覚えていらっしゃるでしょうか?

私の両親も不仲で目の前で離婚騒ぎを起こし母が実家に帰るようなこともありました。
私が39度も出して実家に助けを求めて帰った時も父は迎えにきてはくれませんでした。
(ウチは母が目の関係で運転が出来ないのです)
それなのに弟が戻った時には喜んで迎えにくる。
父にずっといらない子なのだと思っていました。

自殺未遂をしたとき。
それから急に態度が変わりました。
愛情を表現してなかったことにやっと気付いたらしいのです。

それでも私の愛情飢餓はなくならないのですが
七海さんのお父様も色んなことに気付いてくれるよう願っています。
2006.09.26-22:07/雪達磨/URL/EDIT/
★コメントありがとうございます★  from - 七海
v-22はたけさんへ

はたけさんの仰る通り、父は外では「人格者」でした。誰もが「優しくて誠実でなおかつ
仕事も出来て素敵な人」と思うような人で、当時は「外と内でのギャップ」も母や私を
苦しめていました。うちの父は年をとって丸くなったというのもありますが、やはり私が
病気になったことで、ショックを受けたのでしょう。随分変わりましたし、今は母とも仲良く
単身赴任ですが、毎日のようにメールや電話をしていますし、母と2人で買い物に
行ったり、家事を手伝ったりしてくれます。両親は大恋愛の末の結婚だったので、母は
私に父の良いところや、私が赤ちゃんの時、父が私のおむつを洗ったり、夜通し泣き
続ける私をあやし続けてくれたこと…などを話してくれました。父は、愛情表現を「物」で
しか表せない人で、私に好きなものを買い与えたり、放任することで、父なりの愛情を
示してきた…ということも。そして、それは父の母(私の祖母)がやはりそういう人間で
あり、父自身まっすぐな愛情を受けて育ってこなかったので、「愛し方が分からない」の
だということも分かりました。はたけさんの元彼さんも、そういった「愛情」の薄い家庭で
育ったのかもしれません(推測にすぎませんが)…私もそんな父にすごく似ている部分
があって、同じように恋人に接してきていたと思います。それを繰り返すのがとても怖い
のですが、母に「そのことに気付いたんだから、いっぱいの愛情を受けて、愛することの
出来る男性もいる…ということに気付ければ、きっとその恐怖も氷解するわよ。」と
言われました。過去は変えられないですが、自分が「男性不信」になった原因が分かれば
私もはたけさんも、「本当に愛情を分かち合える人」に出会えれば、きっと自然にこの
恐怖は治っていくもののような気がします。焦りすぎて相手を追い詰めすぎないように
気をつけながら、前に進んでいきたいと思います。


v-22雪達磨さんへ

雪達磨さんのお父様も愛情表現が苦手だったんですね。私は一人っ子ですが、兄弟が
いると、余計に「愛情」の比較をしてしまって、辛いものですよね…。でも、雪達磨さんが
自殺未遂をなさって、お父様が雪達磨さんの「お父様への愛情渇望」に気付いてだいぶ
変わられたとのこと…何よりです。きっとお父様は異性である「娘」に対する「愛情」を
どうやって表現すれば良いのか、分からなかったのかもしれません。私の父も、私が
病気になってから、だいぶ変わりました。私がいない時に、母に「俺もおかしいところが
あるから…でもそれはこの年になって変えられないんだよな…。」と言っていたそうです。
父も苦悩しているんだな…と思いました。過去は変えられないし、父への「違和感」は
完全に無くなったわけではありません。でも、自分はやがて誰かと結婚し、新しい家庭を
築いていくのですから、父が母を大切にしてくれることで、「自分への愛情」と受け止める
ことが出来ると思うような気がします。
2006.09.27-12:48/七海/URL/EDIT/

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 内緒です♪

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